山形美術館で開催の「高橋由一」展に行ってきました
山形美術館「近代洋画の開拓者 高橋由一」
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>山形美術館で行われている「近代洋画の開拓者 高橋由一」展に行ってきました。
本日がこの企画展の最終日。
会場が混む確率が高いのでできれば最終日は避けたほうがいいのは判っているのに怠惰な性格が災いして、行こうと思っている展覧会へは結局、最終日に行くはめになってしまうことが多い。
じりじりとした強い日差しが照り返すアスファルトの道を、自転車に乗って美術館に到着したのがちょうどお昼頃。
館内はさして混雑もせず、かといって人影もそれなりにあり、冷房もなかなか効いていて涼むという観点からも、ちょうどいい塩梅です。

日本で最初の洋画家といわれる高橋由一。
由一が生まれたのは1828年。
西郷隆盛や幕末に活躍した福井の殿様、松平春嶽が生まれたのと同じ年です。
ということは、ペリーの黒船来航のときに彼は25歳。
バリバリの江戸時代生まれです。
若い頃は狩野派に学んだ日本画家でした。
20代のときに見た西洋のリトグラフに衝撃を受け洋画家を目指すようになったそうです。
それまで写真のような写実の絵画に触れたことのない日本画家にとって西洋画のリアリズムは相当、ビックリするものだったようです。
以来、由一は自分が西洋画の研究者・普及者として使命感をもって精力的に油絵に取り組みます。
本格的に洋画を学んだのは38歳のとき。
横浜に住んでいたイギリス人の画家から油絵を学びました。
明治になると自分で絵画塾を主催し多くの弟子を育てました。
他にも螺旋形をしたサザエ堂のような美術館(まるでグッゲンハイム美術館だね)を構想したり、美術雑誌を創刊したりと、日本の美術史に大きく貢献した人であることは間違いのないところでしょう。

さて展示室で最初にあるのが日本で最初に油絵で描かれた自画像という由一の肖像画。
ん…。
決して上手いとはいえない! 言えないんじゃないかな? 言えないような気がする…。
油絵のほかにも由一の描いた日本画や、様々な資料も同時に展示されています。
今回の展示の目玉の一つとされるのが重要文化財にもなっている吉原の花魁を描いた作品。
タイトルもズバリ「花魁」ですが、正直、これも上手いとはいえないし、絵として「いー絵だね」とは言い難いものがあります…。
モデルになったのは小稲という吉原の売れっ子の花魁。
彼女はこの作品を観て「私はこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったとか…。
この絵を見る限り、無理もない話だと思えます。
というか、こういうカタチで将来にわたって自分の自画像が残るのは気の毒のような気さえする訳です。
かといって、そうした絵ばかりではなく晩年に描かれた漆黒の闇の中、かがり火のともる船上で鵜飼が漁をしている光景を描いた絵は「なかなかいいな」と思いました。

山形美術館@高橋由一展
山形美術館@高橋由一展

ところで高橋由一といえば「鮭」。
美術の教科書には必ず載っている「鮭」です。
でも「鮭」は一匹ではないようなのです。
由一は存命中、数枚の「鮭」を描かれたことが知られています。
二階の展示室には、三枚の鮭が並べて展示してありました。
一つは東京藝術大学所蔵で重要文化財になっている「鮭」。
もう一つは茨城県の笠間日動美術館が所蔵している板に描いた「鮭図」。
最後は村山市楯岡の伊勢屋旅館で描いた伊勢屋の鮭と言われている「鮭」。
いずれも新巻き鮭で構図が左右反対とか大きさが若干違うとありますが、ほぼ同じような「鮭」です。
同じような「鮭」なのに、なぜに東京藝術大学所蔵の作品ばかりが重要文化財になっていることが不思議です。
この作品がなぜ評価されるかと言えば「西洋の模倣ではない文字通り日本人の油絵になっているから」とされています。
個人的には「そうなのかなぁ」と思わないこともないのですが・・・。
それでも、日本人に新巻鮭をモチーフとして油絵を描いた作品が多いのは、この作品の影響でしょう。

山形美術館でこの企画展が開催されたことに関して注目する点の一つに、由一が山形の作品を多く残したことがあります。
明治14年、由一、54歳のときには現在の県知事にあたる山形県令の三島通庸に招聘されて「山形市街図」という山形市内のメインストリートを描いています。
絵自体は菊地新学という山形市七日町に写真館を開いた写真家が撮った写真をベースにし、後から通行人などの人物を書き加えたものらしいのですが、どう観ても人物の大きさが小さすぎます。
一説では、街並みが広々と見えるようにあえて小さく描いたということですが、構図全体を観るとやっぱりおかしい・・・。
ふと、思うのは「高橋由一」というのは純粋に作品のみを観た場合の評価はどうなのだろうか? という点です。
彼に日本で「最初の洋画家」という歴史資料的な肩書きがなかったら、あの「鮭」がこれほど有名になっていたのでしょうか?
他には、やはり三島通庸からの依頼を請け栃木から福島、山形で三島が行った土木工事記念帖のような道路を描いたスケッチやリトグラフが数十点ほど展示されていました。

記念にミュージアムショップで鮭の携帯ストラップを購入。
最後は毎度のことながら常設の吉野石膏コレクションの展示室で20世紀のフランス絵画を見学。
多くの作品がほとんど変わりなく、いつもと同じように展示されていましたが初めて見る作品が1点ほどありました。
帰りは山形美術館に来たときには、いつも寄る香澄堂書店で古本を物色。
特に収穫もなく、ジリジリとした太陽のもと自転車で自宅へと戻ることにしたのでした。

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