

奈良の法隆寺、別名、斑鳩寺へ行ってきた。
山形からの夜行高速バスが終点の大阪市の阿倍野橋駅前に到着したのはほぼ定刻通りの8時少し前ぐらい。
そこから歩いてすぐの天王寺駅からJR関西本線の奈良行きの電車に飛び乗る。
前の席に座った女子高生四人組のネイティブな関西弁の会話に耳を傾けていると、ずいぶん遠くへ来たことを実感する。
車窓からは山あり川あり、畑ありといった田園の光景が広がる。
「倭(やまと)は國(くに)のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭(やまと)しうるはし」と古事記に歌われたという歌が頭に浮かびながらも「山形と、さして、かわらんやん」などと思ったりもする。
法隆寺駅に着いたのは8時37分。
昨晩の雨の余韻が残っているような曇りで、粉ぬか雨が降ったり止んだりといった天気。
改札を抜け法隆寺へ向かうため駅の北口へ出たが、何もない駅前にびっくり。
お土産屋さんや飲食店が軒を連ねるといったこともなく、いわゆる観光地といった風情はない。
普通の田舎のローカル線の駅前と何も変わらない。
駅から小さな商店街を抜けて歩くこと、およそ15分で法隆寺の山門前の通りに到着。
この入り口とのところで無料のガイドはいかがですかと、ボランティアの方であろうオバサマに声をかけられるが時間もあまりないので丁重にお断りする。
ここから法隆寺の山門まで一直線に松並木がおよそ200メートルほども連なっている。
まだ、時間が早いせいか参道脇のお土産屋さんやお休み処もまだ閉まっているところが多い。
室町時代に再建された国宝の南大門を抜けると正面に、これまた国宝の中門が正面に見えてくる。
中門までの両脇の土塀が歴史を感じさせる。
この門の左右の仁王様は日本最古のものだとか。
拝観料1,000円を支払って五重塔や金堂のある西院伽藍の中へと進む。
参拝の人も、さほどいない。
この中の建物は世界最古の木造建築物群で飛鳥時代に建てられた。
回廊で囲まれた伽藍の中には五重塔と金堂が並んで立ち、その後方には大講堂がある。
回廊の柱はエンタシス様式といって柱の中央部が曲線のふくらみを持つのはギリシャのパルテノン神殿の流れであると昔の美術の教科書には載っていたが、どうやらこれは学問的には証明されていないらしい。
ちなみにこれを言い出したのは築地本願寺などを設計した建築家の伊藤忠多太(ちなみに米沢市の出身)。
入江泰吉や土門拳を気取って写真を撮ろうと試みるが・・・。
法隆寺のお宝が展示されている大宝蔵殿では、教科書にも載っていた玉虫厨子や百済観音像、聖徳太子・二王子像を観ることができた。
飛鳥時代に造られたという、しゅっとしたスタイルの百済観音像は思いのほか大きかったが彩色の剥落やほの暗い照明のためか、アルカイックスマイルといわれる顔の表情まではよくわからなかった。
ここは聖徳太子ゆかりの寺だけに、太子にまつわる展示物が多い。
大宝蔵院を出て東伽藍といわれる境内の東側へ向かい夢殿といわれる国宝の八角形のお堂を見る。
夢殿は奈良時代に建立され中には聖徳太子の等身像とされる救世観音像が奉ってある。
隣接する中宮寺にも、そそられたのだが午後の予定を考え参拝は断念する。
全体に広々とした敷地に建てられたお寺のゆったりとした柔らかな空間は、訪れただけで気分も癒される。
次に来る機会があるなら法隆寺近辺のお寺さんも含め、ゆっくりと観てみたいところだ。
帰り際、今にも降りそうな空からは小雨がパラパラと降りだす。
雨具を出すのが面倒で10分ほども参道入り口の観光案内所で雨宿りをしていたが、意を決して早足で法隆寺駅へと向かう。
帰り際に、さっきは駅の北口だったから何もなかったのだろうと思い、表玄関の南口に回ってみたが、やっぱり何もなかった・・・。
これから向かうのは奈良市内。
昼前ぐらいには着くだろう。