京都国立博物館で『王朝文化の華-陽明文庫名宝展-』を観ました。
博物館には10時ぐらいに着けばよいかなと思い、大阪府警近くのホテルを出たのが9時少し前。
大阪市営地下鉄と京阪本線を乗り継ぎ、最寄り駅である七条駅には50分ほどで到着。
京都までの京阪本線は休日とは思えないような混雑で「なんで、休日に満員電車に乗らなくちゃいけないの!」というオネエサンの愚痴も聞こえてくる。
駅からの歩道は、すでに観光客と思われる人波が続いていて7、8分ほども歩くと博物館の石垣が見えてくる。
博物館の前の通りを挟んだ向かいには黄土色の土塀が石垣とは対照的に連なっている。
なにかなと思っていると三十三間堂の文字が目に入り「へぇーっ」と意表をつかれる。
国立博物館の向かいは三十三間堂だったのか…。
着いてみると、すでにチケット売り場には人が並んでいる。
この時点で、常設展を展示する平常展示館が建て替えのために休館になっていることが判明。
正直いえば、特別展よりは常設展を観たいと思って来たのだが仕方がない…。
広い庭園が広がるフランスの宮殿のようなレンガ造りの建物は1897年(明治30年)5月に開館。
設計は東京の赤坂迎賓館や東京国立博物館表慶館なども手がけた片山東熊。
王朝文化の華 -陽明文庫名宝展-
特別展は『王朝文化の華 -陽明文庫名宝展-』。
陽明文庫とは昭和13年に当時、内閣総理大臣だった近衛文麿が京都の右京区に設立した近衛家に伝わる歴史資料の保存施設のこと。
文麿は「お宅には、さぞ昔からの貴重な資料が沢山残っておいででしょう?」と聞かれて「いや先の戦で焼けてしまって殆んど残っていません」と答えたが、先の戦というのは応仁の乱だったという逸話を持つ。
近衛家は藤原氏の流れを汲む公家の名門で「五摂家」の筆頭であり、文庫には1000年以上にわたる近衛家伝来の古文書、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約20万点に及ぶ史料が保管されている。
今回の特別展では陽明文庫が所蔵している国宝や重要文化財を、これまでにない規模で展示するとある。
歴史を感じさせる堂々たる建物はエントランスの空間もほとんどなく、入口の階段を上り中に入るといきなり展示が始まるといった様子。
このあたり明治時代の設計の古さを感じる。
中に入ると沢山の人だかりで、展示を落ち着いて観れる状況ではない。
「失敗した。あと30分早く来るんだった…」と悔やむも、後悔先に立たず。
おのずと人と人の隙間を見つけては展示品を観るようなことになってしまう。
国宝の『御堂関白記』、『倭漢抄』、『大手鑑』、『歌合』
展示品の多くは日記や絵巻、手鏡などの古文書が多く、みみずがのたくったように書かれた達筆な文字を見て「こりゃ、だめだな」というのが正直な印象。
当方ときたら古文書や和歌に関する知識もなければ書に対する素養もない。
正直、言って自分の守備範囲外の展覧会である。
解説を読み歴史的な価値を知って、やっと「なるほど…」と感じ入る次第。
日本最古の日記と言われる藤原道長自筆の『御堂関白記(みどうかんぱくき)』や、『倭漢抄』、『大手鑑』、『歌合(十巻本歌合)』など、宮廷貴族の生活を伝える国宝を目の当たりにすれば、ありがたみと威光は感じるが、それでも本質的なところで、その素晴らしさや価値をわかっていない。
沢山の人がいたけど、本当にみんなわかっているのかなぁ…。
少しばかり気勢をそがれた感もあり、足早に退散する。
地下鉄の駅まで戻る途中、三十三間堂も気になったが参拝は次の機会にまわすことにする。