今日は先日、近所に住むIさんに誘われた蔵王登山の日。
コースは坊平からお釜、熊野岳、中丸山、坊平というコース。
昨日の天気予報では降水確率60パーセント。
起きると空は曇ってはいるが、しばらくは降りそうもなさそうな雲行き。
朝5時半に起き、6時にIさん宅に迎えに行く。
山形市内を通り途中のコンビニでお決まりの昼食や水を調達。
上山市に入り坊平のライザスキー場から少し行ったtooコットンという、ペンションの手前の駐車場に着いたのは7時半を回った頃。
坊平のゲレンデを登る
準備を終え、ここから坊平のゲレンデの右側を登っていく。
エコーラインという山岳道路を右手に見ながら、灌木や藪の中を1時間弱ほども登るとエコーラインのすぐそばに安岡正篤の漢詩を刻んだ石碑が建っている。
Iさんによると安岡正篤は陽明学の大家であり戦後日本の政界や財界に多くの心酔者がいたという。
あの占い師として有名な細木数子とも関係があったのだとか…。
ここから10分ほども歩くと見えてくるのが錆びた支柱と朽ちたコンクリートだけになったリフトの骨組みと駅の廃墟。
コンクリートブロックで建てられたような建物には「県境裁判を忘れるな」といった文字がスプレーで大きく書かれている。
これは今から50年ほども前に、起きた山形県と宮城県における蔵王県境裁判の当事者だった北都観光が建設した施設。
ある意味、歴史遺産と言ってもいいのかもしれない。
この廃墟の側を通り抜けると、裁判のもう一方の当事者だった山形交通のリフトが営業している刈田岳の駐車場に到着。
ここで最初の休憩。
ここからは、灌木もなくなり道は岩のゴロゴロしたザレとなる。
駐車場からは20分ほどで馬の背と言われるお釜の見える稜線に到着。
ガスもかかってなくお釜がきれいに見える。
お釜を右手に見ながら蔵王連峰で一番高い、標高1,841メートルの熊野岳を目指す。
この辺りは火山礫と言われる岩や石がゴロゴロしているが刈田岳の駐車場から近いためにサンダル履きの女性や軽装のアベックなどもチラホラ見かける。
地質の本を読むと蔵王のお釜は長いところでおよそ320メートル、短いところでおよそ200メートル。
水深は最深部で25メートルだそうだ。
緑色に見える水は酸性で日本一鉄分を多く含む火山湖とある。
熊野岳山頂到着
熊野岳の避難小屋から西に向かい頂上にある熊野神社周辺で昼食をとることにする。
熊野岳の頂上には10時半ごろに到着。
雨を覚悟していたが、雨にも降られず暑くもなく、寒くもなくラッキーな行程だった。
飯豊連峰から朝日連峰の稜線がシルエットになって雲海に浮かび美しい光景を見ることができた。
斎藤茂吉の歌碑のすぐそばで昼食。
歌碑の碑文には「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王山の雲の中にたつ」とある。
昼食は今回もカップヌードルとオニギリ。
食後は沸かしてもらったお湯でコーヒーを飲み、いよいよ下山。
熊野岳から中丸山ルートで下山
熊野岳から西に向かいまっすぐ下っていく。
コマクサの群生する登山道は石畳と砂利できれいに整備されている。
Iさんは、なんでコマクサが群生するところをこんな風に道を整備するんだと怒り心頭。
確かに、こんな風に整備したら余計に人が足を踏み入れそうだ。
ただ、考えようによっては登山者が道から外れない分、自然にもやさしいと言えるのかもしれない。
整備された登山道を過ぎると、背の低い藪と灌木の中の道を分け入っていく。
途中、一組の若い夫婦と子供の三人とすれ違う。
中丸山の山頂へ向かう道はかなりの部分、木道が整備されている。
中丸山の頂上で10分ほど休憩。
下りは雨が降ったら沢になりそうな急斜面の道で、注意が必要。
登山道を下りきると「せんにんばし」と言われる吊り橋がある。
数年前にはここで、子供会の行事で来て滑落してしまった子どもと、その子供を助けようとした引率の会長さんが滑落して亡くなるという痛ましい事故があった。
この吊り橋を越え、斜面を10分ほど登るとスタート地点に到着。
時間は13時半ぐらい。
右足の小指の爪の下が内出血していて痛い。
帰りは、蔵王温泉から下ったところにある天神の湯という温泉で汗を流す。
今日も疲れた。