坂本竜馬が定宿にしていた京都、伏見にある旅館、寺田屋に行ってきました。
寺田屋があるのは京都市伏見区。
ここは幕末に龍馬襲撃の舞台になったほか、寺田屋事件という島津藩の内紛で10名の薩摩藩士が亡くなるという壮絶な斬り合いがあった場所としても知られています。
寺田屋を見るというのは、まったく念頭になかったのですが京都国立近代美術館のオープンカフェでコーヒーを飲みながらボーっとしていたときにふと思いつきました。
30分ほど電車に乗って最寄り駅の京阪宇治線の中書島駅に着いたのはちょうど15時。
駅には龍馬の写真パネルと幕末に付近で起こった事件のあらましと、このあたりが日本酒の産地であることを説明したパネルがディスプレイしてあります。
寺田屋へ向かって歩いていると、多くのカメラを抱えた同年代であろうオジサン、オバサンが行き交っています。
きっとNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の効果もあるのでしょう。
途中、小倉山荘という有名な京都のお煎餅屋さんの支店を横目で見ながら歩くことおよそ10分、宇治川の支流にかかる橋からは十石舟の往来が見えます。
橋を渡り川沿いの路地に入って、すぐのところに寺田屋はありました。
建物の前では沢山の人が写真を撮っています。
表の玄関から中に入ると小さな受付があり入館料400円を払ます。
下足を入れるビニール袋を受け取り狭い板の間に上がると、すぐに狭くて急な階段があります。
そこから二階に上がると客間があります。
想像していたより部屋数も少なく、こじんまりしている感じです。
2階の客間は天井が低いせいか少々、窮屈に感じました。
なんでも、これらの部屋には予約すれば6,500円で素泊まり可能だそうです。
沢山の幕末ゆかりの人物の書などの資料がごちゃごちゃと飾られていて正直、あまり趣は感じません。
2階の柱には「刀痕」や「弾痕」という紙が無造作に張ってあるのですが、人が触りすぎたためか「痕」かどうかわからないような状態になっています。
階段も狭く、ここで刀を振り回すことを想像すると斬りあいというより乱闘といった感じがふさわしいような気がします。
寺田屋のお風呂。
後に龍馬の奥さんになるお龍さんが寺田屋騒動の際、素っ裸でお風呂から飛び出し龍馬に敵の襲撃を伝えたのは有名です。
ところで、この寺田屋ですが京都市の調査では幕末の鳥羽伏見の戦(1868年)で焼失し、現在の建物はその後再建されたとしている。
では、展示してあるお風呂や「刀痕」や「弾痕」のある柱は、どういうものなの…?
このあたりは、あまり追求しないことにしましょう…。
寺田屋から少し歩くと「竜馬通り商店街」があります。
「竜馬」は本当は「龍馬」と書くのが正しいのですが、きっと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に由来したのでしょう。
この「竜馬通り商店街」から一本、横に入ると、伏見の酒蔵の街並みがみえてきます。